こんにちは!&こんばんは!「番頭」です。
今日は商品のお話では無く、ちょっとした「私なりの考察」をしてみようかな?と思います。
まぁ、私の主観ですので皆さんと考えが違っていたら、その時はゴメンナサイ!って所で。
ダラダラと書いていますので、長い記事を読むのがメンドクサイって方、今日は読み飛ばして良いですよ(笑
アイテムの紹介ではありませんので。
お題は「作品」と「商品」の違いってどこらへん?って所です。
←スタッフ「けんちゃん」の私物です。
さて、我々スタッフを始め、てっぽー好きな方は、
「パーツを付け替えてみたり」「塗装したり」「内部をカスタム」してみたりと、
色々な方法を使って、愛銃に手をかけてみたりしている方が多いかと思います。
まあ、てっぽーに限らずサバゲの装備品でも良いですし、
他のジャンルで言うならば「バイク」とか「車」でも良いです。
てっぽー好きな方はバイクや車が好きな方も多いですからね!
んでふと、思ったのですが、
「なんで私を含め皆さんは、趣味のアイテムに色々と手をかけて、満足できるように手を加えるのか?」
って事。
「他人と一緒じゃいやだ」とか「もっと高性能にしたい」とか「機能向上」とか
「ここを弄ればカッコ良くなるから」とか「ただ単に機械時な興味から」とか色々な理由があります。
うんうん、そうですよね!私もそうです。
…んで結論から言うと、私の考えとしては、
私を含む皆さんの手を加えるという行為は、総合的に煮詰めると
「自分だけの特別」が欲しいんじゃないかな??って思います。
つまり「皆さん自分なりの”作品”が欲しい」という事かな?と。
んで、冒頭の話にも戻りますが「作品」と「商品」は違うよなと思います。
「作品」とは「1個だけの特別なもの」と考えます。
「商品」は「数多く作られたもの、商業として成立する物」
具体例で言うならば
「作品」とは「美術品」などの「1つだけしか世の中に存在しない特別な物」
…存在そのものが価値になっている物かと思います。
そして、我々が手にしているアイテムは基本的に「商品」です。お金を出して買ってきますからね。
各社製造メーカーさんが作った「アイテム(商品)」で我々は趣味を楽しんでいます。
当然ですが、メーカーさんは「商売(生活の為)」として「商品」を作っています。
商品ですから、「コストダウン」とか「構造上の妥協」とか「割り切った部分」があります。
特に最近では「PL法(製造責任)」とかも多々あります。使える材料等も設計にも縛りが多々あります。
さらに簡単に言うとメーカーさん「人気が出そうなもの」「数多く売れそうな物」を製造しています。
いわゆる「市場調査」とか「マーケティング」とか言われる物ですね。
中には「スキマ産業」とか「限定品」という感じで「小ロット」で数量限定って場合もありますが。
それも「価値」に対する商売としてのアプローチです。
メーカーさん側の考えとして「安く作らないと数が売れない」とか「不具合があるとクレーム&リコールが来る」など
色々と考えながら、設計・製造・販売をしています。
ですので、簡単にいうと「メーカーさんは生活の為に作っていて、ある販売数を当て込んだアイテムを作っている」
って事です。
仮に、メーカーさんが設計者の自己満足で、とんでもなく高価なアイテムを製造販売しても、それでは数は販売できませんし、一般的には商売にならない。
商売として成り立たないと「メーカーさんの中の人」は生活できません。会社が潰れてしまいます。
1個しか売れない「作品」はメーカーさんとして成立しません。
なのでメーカーさんの「商品」と我々ユーザーが求める「作品」としてのズレになるのではないかと思っています。
じゃあ、世の中に溢れているアイテムが全て「商品」と割り切った世の中か?
つまんないアイテムばかりか?というと、そうではない所が面白い所です。
世の中には「作品寄りの商品」とか「商品の中の商品」など色々なステータスで作られた商品が存在しています。
↑コチラはラジコンですが…。
「作品寄りの商品」の代表格と例えば、高級スーパーカーの「フェラーリ」とかですかねぇ。
メーカーのコダワリで、新車で数千万円とか億単位って言う、スゴイ車を作っています。
そのへんのおばちゃんだって「フェラーリ」の名前位は知っています。
皆さん誰もが知っているし、認める価値がある。
「フェラーリ社」は「作品寄りに振った商品」を作るメーカーと言えるかと思います。
ただし、ソレを出来るのは、総合的に「価値」があるからです。
何台かは買ってもらって、利益があって商売として成り立つからですね。
細分するならば、すごい性能・デザイン・メーカーとしてのブランド・ステータス・歴史など、
色々な部分に価値がないと、成立しません。
あとは、女性が好む、ブランド物のバックとかも同様ですよね。
材料費よりも、デザイン・ブランドとしての価値があるから、高級品が成立すると。
さて、話を戻しますが、フェラーリ社では無い、一般的な企業ではこういう「究極の作品寄りな商品」は作れません。
作品寄りの高価なアイテムを作っても、売れません。
ですので「作品」を目指した物でも、様々な制約から「やや作品よりの商品」となってしまいます。
あと最終的には「価値」を決めるのは「設計者やメーカーさん」では無く「実際に手に取ったユーザーさん」です。
設計者の自己満足だけでは、ユーザーさんに認めてもらえません。売れません。
ユーザーさんに気に入ってもらえなければダメなんですよね。
←最終型は憧れたけど買えなかったなぁ。89年式に乗っていました。
仮に「メーカーさんの自己主張を押し付けた商品」って
「確かに凄いけれど、誰も欲しがらない」って事になってしまいます。
…新車で売っていた頃の「250ccのレーサーレプリカバイクの販売末期の時期」がそうでしたねぇ。
ユーザー置いてけぼりで、ドンドン高性能化に改良されて、新車価格もガンガン上昇。
とてもじゃないけど、手が出ない価格帯に行ってしまいました。
250ccの2ストバイクに80万(NSR250最終型の上級グレードSEの新車価格)とか買えません。
末期は、裕福なバイクマニアじゃないと買わない。って感じでしたね。
当然、メーカーとしては、商売として成立しないので開発&販売中止。って流れでしたね。
…おっと、バイクに詳しい方じゃないと判んない話でしたね。失礼しました。
んで、我々ユーザーサイドとしては「作品」というか「価値」が欲しい!
っていう事なのではないでしょうか?と冒頭の話題に戻る訳です。
てっぽーでしたら、カスタムパーツをつけたり、内部をチューンしたり、塗装したり…etc
メーカーさんからの出荷された「商品」としての状態を、自分の「価値観」に合わせて手を入れる事で「作品」に仕上げる
という事なのでしょうね!
あくまでメーカーさんから買える物は、せいぜい「作品寄りの商品」だという事。
そして「趣味」という観点で考えたら「商品を自分の価値観にあった作品にする事は出来る」って事かと。
メーカーさんから販売される物に不満があるのは仕方が無い。そういう物です。
例えば、12月22日に新販売予定のHK417。予約価格¥66,240。
コイツもエアガンとしてみると、相当高額ですし、メーカーさんとしては「コストをフンダンにかけた」「作品寄りの商品」と言えるのではないしょうか。
そういう観点から見て、私は「マルイさんは、かなり思い切って作ったな!」と思っています。
中華の安物電動ガンの様に、使う材料や製造方法に妥協して、安く作ってしまえば、もっと数が売れるのでしょうが、
元々、次世代電動ガン全般に言える事ですがこのHK417には「安く数を売る」という選択が無く、
メーカーさんとしては「我々の出来る限りで良い物を造りたい!」という意思を感じます。
ちなみに「定価で8万越えは高い?」とか「マルイの刻印はいらねぇ?」とか、ネット場で色々言っている方もいますが、
それは、メーカーさんの「商品としての価値観」とユーザーさんの「作品としての価値観」の違いかと。
皆さん、求めている価値は同じ所ではないですし、メーカーさんとしては、皆さんの意見の最大公約数を纏めて商品作りにしている所もありますからね…。
という訳で「番頭」が考える「作品」と「商品」の概念。ご理解頂けましたでしょうか?
そう考えると、趣味の物に手を加えていくとしても、方向性が見えてくるかと思います。「自分として求める価値観は何か?」これを詰めていくと趣味はもっと楽しくなると思います。
あと、「他人から見てセンスの良いカスタム」っていうのは
「そのユーザーさんの考えた価値観が、他人から見ても判り易い」って事なんだと思います。だから理解されやすい。
逆に言うと、例えばカスタムパーツをイッパイつける事が「目的」になってしまい、
「ゴチャゴチャとパーツを山盛りに付けただけ」の「カスタムてっぽー」も世の中には結構存在します。
ぜひ、カスタムをするとしても方向性として、ご一考頂ければと思います。
という訳で、我々はなぜカスタムするのか?という疑問を色々と考えて自己解決したので、当ブログに書いてみた次第です。
皆さん、どうでしたか?え?ゴチャゴチャ考えすぎ?
まぁ、こういう考察が性分なんで、
たまには、こんな記事でもいいでしょう。
さて、本日のブログ記事はここまで。
それでは、いつもの〆のご挨拶!
皆さんご一緒に!
レッツ!ガンライフ!(σ゚∀゚)σ
「番頭」でした!
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